【今すぐブラック企業から脱出】知らない間に陥りやすい心理バイアス2種類
あなたが今在籍している会社は、このまま長く続けるべき会社ですか?
仕事がうまくいかない時や人間関係の悩み、将来への不安など、先行きが見えないこの世の中で今いる会社にこのまま続けるべきか否か、すぐに答えの出にくい悩みです。
少なくともブラック企業にはいたくないし行きたくもないですよね。
本記事は、「人は妥当性よりも、信念による判断を優先する」という話です。
ブラック企業か否かを見極めるポイントについて心理学的な論点で見てみましょう。
☑本記事の内容
認知的不協和
信念バイアス
結論から言うと、信念バイアスとは導き出された結論が信じられる内容だったとき、その結論がたとえ妥当ではないものであっても、人はその結論を信じてしまうというものです。
こちらの例をご覧ください。
・契約社員として働く看護師Aさんは勤続10年を超えている。
・この病院でAさんは毎日2時間の残業をすること通例である。
・この病院の正社員は残業代を申請しない風土がある。
・過去にAさんは上司から「正社員が残業の申請をしていないから契約社員も残業代は申請しないで」と言われていことがある。
上記の事実があるにも関わらず、Aさんは勤務先である病院で働き続けているとします。
こんな事例があったとき、おかしいと思う部分があることにお気づきでしょうか?
本ケースでは残業をがあることに対して疑念を抱くことなくAさんが働き続けています。
そんなことを続けていただら過労で倒れてしまいます。
また、「本来支払われるべき残業代どうなるねん」と感じられた方。
まさに正しい疑問ですね。
仮にAさんが在籍している病院が他の病院の実情を知らなかったら?
そうだとすれば本件のAさんは社会通念よりも、上司から植え付けられた「信念」に則って行動しています。
信念バイアスが効いている状態が生み出されていると言ますね。
上司からの進言こをが社会的なルールであると誤認し、それに疑問を抱くことなく働き続けているこのケースは珍しいものではありません。
同じケースではないにしても、同様に今疑問なく受け入れている現職場でのやり取りが、社会的に認知された行動か否か、立ち止まって考えてみる必要があるかも知れません。
信念に則った行動は悪い事か?
信念を貫くことが意外に「うまくいっている」と捉えることもできます。
上記のケースでは病院で10年疑念なく働いてきたAさん。
信念バイアスがかかっているという指摘を他人から受けたとき、Aさんは「よくぞ言ってくれた!」と指摘者に対して感謝するでしょうか?
考え方は各々ですが、個人的には知らずに過ごしてきた幸せな10年に傷をつける発言として、指摘者を恨むことさえあると考えます。
わざわざ寝てる子を起こすようなものですね。
今あなたがいる会社に対して一定の満足感があるのであれば、わざわざ疑う行為を持つことで不幸になる可能性すらあります。
闇に光を当てるべきか、闇のままそっと歩き続けるべきか。難しい問題です。
認知的不協和理論
先ほどの例をもう少し掘り下げてみましょう。
認知的不協和という言葉、聞いたことがある方はおられますか?
これは自分の本音と、実際の行動が矛盾しているなど自分の中で言行一致しない複数の意見を同時に抱えている状態を言います。
フェスティンガーの実験
この認知的不協和理論を唱えたフェスティンガー博士。説を立証するためにある実験を考案します。
・退屈でつまらない作業を学生に行わせ、作業に対して報酬を支払う ・その学生たちに次に作業を行う学生に「作業は楽しくて興味深い」と伝える役目をしてもらう
報酬を20ドル支払うグループと1ドルだけ支払うグループに学生を分けて実験を行いました。
その結果、作業が楽しい!と強く訴えたのは1ドルを支払われたグループの方だったのです。
理論から考察される陥りやすい思考のトラップ
上記の実験に当てはめて考えると、日常業務がつらく苦しい状況があったとしても、そこで働く自分に対しそれを「やりがい」という理由付けを行いその仕事に満足しようとする思考に陥っている可能性があります。
またこの状況は、労働環境や待遇が過酷であればあるほど「仕事がおもしろい」という思考に変容しやすいという点を実験からも考察できます。
どうやすれば回避できるか
本思考の傾向は自信の環境に対し自問自答する機会がなく、立ち止まって自分の状態を知ることがないことから陥りやすい思考であるうと言えます。
つまり、自身の行動について立ち止まり考えたり、現状置かれている環境について振り返る機会があれば上記のバイアスから逃れるきっかけになります。
自分の今の現状に対し、友人や周囲に愚痴をこぼしたり自身の不満を口にしたりすることで、相手がそれに共感してくれるなどすれば、自身のおかれている環境の異常値に他人の目が入り、その共感の言葉から、置かれている状況を逆に認識することができます。
「飲みに行っても愚痴ばっかり、そんな飲み会には参加しない!」と近年は飲みの場に参加しない人も増えていますが、認知的不協和回避の手段として飲みの場から得られる助言やご自身の立ち位置の理解の機会はあんがい馬鹿に出来ないのかも知れません。
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